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2004.07.29

本因坊秀策がもし長寿だったら

「昭和囲碁風雲録」読んでますが、2週間で読み切れずに貸出し延長してもらいました。その前に借りた「本因坊名勝負物語」( 井口昭夫著:三一書房 )を読んでる時も思ったんですが、もしも、秀策が明治時代まで生きていたら、本因坊家は囲碁界はどうなっていたでしょう。

秀策が15世本因坊を継ぐ事なく、14世秀和の跡目のまま34歳 の若さで亡くなったのは、文久2(1862)年でした。すでに幕末の動乱へ向かっていたこの年は、この間大河ドラマでもやってい寺田屋事件もありました。6年後の1868年が明治元年ですから、秀策がもし60歳近くまで生きていたら、幕府の庇護を失い苦境に追い込まれた本因坊家を背負って、棋士としてだけではない多くの苦労をした事だろうと思います。考え様によっては、良い時に亡くなったのかもしれません。

架空のお話しですが、漫画「ヒカルの碁」では、藤原佐為という平安時代の天才棋士の霊がこの秀策にとりついていた事になっています。佐為さんは棋士としては天賦の才がありましたが、明治時代の経済的困窮と勢力争いを乗り切れる様な才覚には乏しかったと思われるので、秀策が長寿だった場合にあまり役に立てなかったかもしれません。でもひとりよりは二人の方が心強い、という支えにはなったかな。

ところで今日は、ビデオ録画したままだった「1から始める梅沢由香里の碁」最終回をやっと見ました。うぅーん、見てるだけじゃ19路盤で打てる様にはなりません・・・。


(追記)すみません、訂正です。
この間(7/18)大河ドラマ「新撰組」でやっていたのは寺田屋事件ではなく、池田屋事件でした。(以下コメント)

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コメント

すみません、訂正です。
この間(7/18)大河ドラマ「新撰組」でやっていたのは寺田屋事件ではなく、池田屋事件でした。秀策が亡くなった1862年に起こった寺田屋事件の頃、後の新撰組メンバーとなる皆さんはまだ江戸に居ました。将軍家茂と孝明天皇の妹和宮が結婚したのもこの年でした。

新撰組が活躍した池田屋事件があったのは1864年で、秀策が亡くなってから2年後の出来事でした。何だかゴッチャになってしまうんですよね、寺田屋事件と池田屋事件。

投稿: ヒトコ | 2004.08.01 21:48

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