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2004.08.06

原爆下の本因坊戦

昭和20年8月6日午前8時、第三期本因坊戦、第二局3日目の対局が再開した。対局者は橋本昭宇本因坊と挑戦者岩本薫七段。碁の局面はすでに大ヨセに入ろうとしている時だったという。対局場所は、広島市街より10キロほどの所にある五日市の吉見園という中国石炭の寮だった。

岩本薫さんの回想録によると、「2日目までの手順を並べ終わり盤に向かっているときに、いきなりピカッと光った。それから間もなくドカンと地を震わすような音がした。聞いたこともない凄みのある音だった。同時に爆風が来て、窓ガラスが粉々になった。障子とか襖は倒れ、固いドアがねじ切れた。」(中山典之著「昭和囲碁風雲録」より)という事態が起こった。広島市に原爆が投下されたのだった。

「ピカッと来てからドカンまで、実際には30秒足らずのはずだが、5、6分ぐらいに長く思えた」そうで、ひどい爆風で、岩本さんは碁盤の上にうつぶしてしまったという。10キロ離れた場所でもこんな状況だったというのだから、原爆の怖ろしさがわかる。

それでも、原子爆弾などとは知らない当事者たちは、部屋を掃除して対局を続け、結果は本因坊の中押し勝ちだった。しかし、この後無期延期状態となった本因坊戦第三局が打たれたのは、終戦後の昭和20年11月10になってからだったそうだ。

この第三期本因坊戦は、空襲により当時赤坂溜池にあった日本棋院が全焼したため、食料事情も悪い中、対局場所を探すにも苦労していた。結局、立会い人だった瀬越憲作八段が五日市に疎開していた事も有り、日本棋院広島支部の協力を得て、第一局は7月23日から広島支部長宅で打たれる事となった。しかし、市内は空襲などの危険があるため、第二局は瀬越さんが疎開していた五日市で、という事になったそうだ。もしそのまま広島市内で打たれていたら大変な事になっていただろう。現に、広島支部では支部長以下関係者全員が亡くなったそうだ。

当時のプロ棋士の中にも、空襲で亡くなった方、戦死された方など何人もおられたそうだ。今現在、日本国内に空襲はないが、イラクはまだまだ戦争状態だし、世界中には他にも内戦やら何やらで生命の危険に晒されている人はたくさんいる。8月6日、9日、15日。日本にとっても過去の不幸を振り返るだけの日ではないだろう。


8/7追記

原爆関連のHPも紹介されている「すきま」さん
囲碁に関する話題もたくせん読める「ももぞうの烏鷺ウロ話」さんから
トラックバックいただきました。

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コメント

はじめまして。検索でこちらを見つけて、早速トラックバックさせていただきました。
原爆対局については私も本で知りました。
やはり戦争は絶対にしてはならないという思いと、あの時勢によく囲碁のタイトル戦を続けてくださった当時の関係者に敬意を表したい思いです。

投稿: ももぞう | 2004.08.07 01:33

はじめまして。トラックバックありがとうございました。
こちらかもさせていただきました。
私もこの対局の事は、囲碁関連の本を読んで知りました。戦時下、スポンサーである新聞にも囲碁の記事が載ることがなくなって行く中で、タイトル戦を続行するのは大変な事だったと思います。

本因坊戦も、予選を4月中に終えていたので挑戦者は決まっていましたが、5月の空襲で日本棋院が焼けてしまい、大手合いも出来ない状況になっていたそうなので、本当に関係者の尽力でやっと実現したタイトル戦だったんですね。主催者の毎日新聞社も焼けてしまい、予選の記録も殆ど残っていないし、タイトル戦当日に毎日新聞関係者が列席することも出来なかったそうです。

戦争という非常事態の中でも、人々がそれぞれ自分の生きる場所で精一杯頑張っていて下さったから、今日があるんですね。

投稿: ヒトコ | 2004.08.07 08:09

私は広島市の西隣の廿日市(「はつかいち」と読みます。よく「甘」日市と誤記されます。まもなく世界遺産「宮島」とも合併します。)で生まれ育ちましたが、原爆の悲惨さは実に保育所のときから教わり、父に連れられてしばしば資料館にいったのを覚えています。「原爆対局」のことは大学で囲碁を覚えたときに知りましたが、広島にお住まいの方もあまりご存知ないというのはとても残念に思います。ちなみに、第三期本因坊戦第一局が行われた藤井支部長宅は、現在の原爆慰霊碑の南西10メートルくらいの場所にあたります。当時の中国地方総監府第一部長が、「広島での対局は危険」と判断し、五日市の対局場を紹介して、橋本本因坊、岩本挑戦者、瀬越立会人といった関係者の方は危うく命拾いしたのですが、第一局の場所に立つと、その意味が一層よくわかります。広島に来られたら是非一度たずねてみてください。

投稿: 弐世無色庵 | 2005.08.21 18:02

コメントありがとうございました。

藤井支部長のお宅が、そんなに爆心に近い所だったとは知りませんでした。
広島には大昔の高校の修学旅行で行ったきりですので、
機会がありましたら、息子を連れて是非もう一度
平和公園を訪れてみたいと思いってます。
囲碁好きの息子にも 弐世無色庵さんの書いて下さった事、
伝えておきたいと思います。

レスが遅くなって申し訳ありませんでした。

投稿: ヒトコ | 2005.09.11 10:19

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