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2005.01.31

加藤正夫名誉王座の棋歴

NHK教育TVで毎週日曜、正午の囲碁講座に引続きNHK杯をやる時間に、昨日は去る12月30日に亡くなられた加藤正夫さんの追悼番組「攻めの加藤・ヨセの加藤」を放送していました。「加藤正夫名誉王座の棋歴」はそのサブタイトルでした。この日放送予定のNHK杯3回戦第8局 張栩 名人・本因坊 VS 加藤正夫 九段 は、張栩 名人・本因坊の不戦勝という事になりました。加藤さん最後の対局は、昨年12月2日の第31期天元戦本線だったそうです。

出演されていたのは、加藤さんと同じ木谷実門下の、大竹英雄、石田芳夫、趙治勲、小林光一、武宮正樹の各氏。それぞれに木谷道場時代の思い出や、棋士加藤正夫の人となりなどを話されるとともに、タイトル戦での思い出の一局をご自分で解説して下さいました。

昭和51年第1期碁聖戦、大竹英雄に3-2で勝ち初タイトルを手にした時の第5局。
52年第32期本因坊戦、武宮本因坊を4-1で降し本因坊剣正となった時の第1局。
53年第33期本因坊戦、4-3で挑戦者石田芳夫を退けタイトル防衛の第7局。
58年第21期十段戦、3-2で趙治勲よりタイトル奪取の第5局。
61年第11期名人戦、4-0で小林光一名人よりタイトル奪取の第4局。

皆さん、ご自分が加藤さんに負けてタイトルを持って行かれた時の一局でしたので、今更ながらに「この一手が負着だった」などと悔しそうにしたり、「加藤さんのこの一手にやられた」みたいな話をされていて、解説の内容はさっぱり解らない私にも、その時の攻防への思いが伝わって来るようでした。

なかでも、席に座っていた時はあまりお話されなかった趙治勲さん、対局の解説になったらいつもの調子で面白かったです。石田芳夫さんの解説の時は聞き手で、「ここが失着でしたよね」と散々突っ込んでいたら、自分の解説の時は小林光一さんに突っ込まれて「他人の失敗はすぐ解るんですけど、自分の時は気づかないでやってるもんですね」と笑っておられました。その上、加藤さんとゴルフをした話にまで発展し、対局の解説中なのにスイングの真似までされてたのが可笑しかったです。

加藤さんは、これらのタイトル以外にも、昭和54年は本因坊、十段、天元、王座、鶴聖の五冠王、62年は十段、碁聖のタイトルを奪取、名人と王座を防衛し四冠王、そして平成14年第57期本因坊戦では、史上最年長55歳で本因坊位に返咲くなど、獲得したタイトルは47。タイトル連続保持記録14年6ヶ月で、史上最長だったそうです。

平成14年の本因坊就任式の挨拶も放送されましたが、「50代になって体力に自信が出てきた」というお話をされていてのを、複雑な思いで聞きました。兄弟子である大竹英雄さんも、「そうは言っていたとしても周りでもっと気をつけてあげれば良かった」と残念そうに話されていました。皆さんのお話を伺って、本当に、先輩にも後輩にも慕われ頼りにされていた方だったのだなぁ、と思いましたし、惜しい方を失ったなぁ、という思いを新たにしました。

加藤正夫名誉王座のもう少し詳しい棋歴は日本棋院HPの「棋戦・棋士」の棋士のプロフィールで紹介されています。

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2005.01.30

オヤジなパート主婦

我が職場の部署は3つのチームに分かれているのですが、何故だか私の所属するチームには酒好きのパートが集まっています。体調を気遣って今は殆ど飲んでない方や、あまり強くない方もいますが、半数以上が結構イケる口で、全く飲めない方はおりません。

ご主人も酒好きで一緒に晩酌したり、時には二人で飲みに行ったりする、仲睦まじいご家庭もありますが、皆さん結構、ご主人が飲まなくても一人で飲んでるらしいです。うちもダンナがここ数年あまり飲まなくなってしまったので、私一人で風呂上りのビールを楽しんでます。別にキッチンドランカーって訳じゃなくて、ダンナがアルコールには付合ってくれないので、一人でビールになってしまうだけなんです。ダンナは隣でお茶やジュース、時には牛乳なんか飲んでおります。牛乳やジュースを夜あんまり飲むとカロリー取り過ぎだと思うんですが、「ビールの方が太るだろう」と指摘されると、返す言葉がありません(^^;)

そんな酒好き主婦が多い関係で、新年会・忘年会・暑気払い、と称しては年に何度か飲み会をやる事があります。そういう時は、夕飯の手配も出来て小学生のお子さんが居る方もご主人に頼める土日に設定し、店に予約も入れて決行します。たまたま何処の家庭も、妻の飲酒に寛大な夫が居るおかげで成立するイベントではあると思います。ご主人方のご理解に感謝、と言っておこく事に致しましょう。

そして酒好きな我々は、それ以外にも金曜の仕事帰りなどに、チョッと一杯飲んで帰る事もあります。予約なんてしないで、その時都合の付く人だけ5~6人で、職場の近所のお酒も出す店に寄ります。時間的にはお茶の範囲に近い1時間位で切り上げます。後は何食わぬ顔で家に帰って、おもむろに夕飯の支度などをするのです。

「仕事の後のビールは美味いね!」などと言いながら、井戸端会議のような話をしてストレス発散しております。飲めない人もツマミにウーロン茶だけで話に参加してくれる事があります。職場の人間といっても、上司は居ないパート主婦だけで、男性や若いお嬢さんも居ないので馬鹿話も出来て気楽なんです。しゃべって楽しいオバサン的娯楽なんですよね。でも何だか、新橋駅のガード下で一杯飲んで帰る、サラリーマンのお父さん達と似たようなもんでもあるのでしょうか。

この話は、「遠き山に日は落ちて・・・」さんの飲み会話題にトッラクバックさせていただきます。

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2005.01.28

昨日は都立高校推薦入試でした

うちの息子も受けて参りました、都立高校推薦入試。わりと早い時間の面接でしたので、午前中に帰ってきましたが、ガックリした顔でした。小論文は無く、自己PRのスピーチだったのですが、言おうと考えていた事の半分も言えなくて、言葉にも詰まってしまったらしく、全然ダメだったようです。それでも、挨拶や面接部分での受け答えはそれなりに出来た様なので、一般受験よりずっと高い競争率でもあることですし、ダメ元で良い経験させてもらったと思ってます。

昨日、推薦受験者は自宅から出かけて中学は欠席でも可だったのですが、息子は午前中に帰ってきたので、給食に間合うように登校して行きました。何でも、給食のメニューに魅力があったのと、試験で出席者少ないのでおかわりし放題だから、という事で。後で聞いたら、おかわりもして、牛乳も残っていたので4本も飲んで気持ち悪くなったそうです。アホかいなと思いましたが、ヤケ酒ならぬヤケ牛乳だったのでしょうか・・・。 
なんか、2年生までおかわりをもらいに来てたそうですが。

発表のある1日は休み取ってるので、私立出願の書類と受験料持って一緒に発表を見に行って、その足で私立校の方に行くようかなぁ、と思っています。その後都立の一般受験ですね。私立の単願推薦の子たちの合格が決まる中、うちはまだ1ヵ月続くんですね、受験真っ只中が。私立一般受験後、都立第一志望の一般受験者だけが残るので、クラスの半数以上が受験を終えて浮かれている中、結構辛いものがあるそうです。頑張れ、都立受験生!

この記事は「あ~、精進、精進……」さんの都立高校推薦入試にトッラクバックさせていただきます。

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2005.01.22

PTA被推薦者会議

今日はPTAの本部役員決めでした。うちの中学は推薦方式なので、立候補者がいない場合は、推薦された人を集めて「被推薦者会議」を開き、話合いによって候補者を決める事になっています。去年、一昨年は被推薦者の側でこの会議に召集されたのですが、今年は本部役員から選出の選挙管理委員として会議を仕切る側でした。

受験生がいるので委員長だけは固辞して副委員長にしてもらったのですが、副二人の相棒の方が役員に推薦され選挙管理委員を降りる事になったので、一人になってしまいました。これで委員長さんも推薦されてたらエライ事でした。被推薦者の側に居るのも嫌なものですが、その気持ちが良くわかるだけに、選挙管理委員側にいるのも気が重い事でした。それ以前に、推薦された方々に会議の通知を出した時点で、欠席の場合の連絡先が正副委員長になっていたので、在宅中の電話が恐怖でした。お断りの電話を受けたくないので居留守使ってやろうかと思ったくらいですが、それじゃ何の為の連絡先かわからないので、そんな訳にも行きませんでした(笑)

結局何人かの方からお断りの電話を頂きましたが、今一緒に本部役員や委員をやってる方からだと、そう何年も続けてやって下さいともお願い出来ず困りました。後は老人介護をされてる方とかも無理は言えません。別な意味で仕方ないな、と思ったのは、仕事が忙しいとかご自分が具合悪いという方で、歩み寄りの余地のない断り方をされる方。どんな理由を言ってでもやりたくないんだなぁと思うと、こちらの胸に冷ややかなモノが流れてしまいます。

結局、再度推薦されていた現会長と現副会長を委員長さんが説得して、各2名の書記と会計は、それぞれ同じ小学校で役員委員をされた方が、一緒にやるなら、と引受けて下さいました。会計のお一人は、私が小学校で副会長やってた時の書記さんだった方なので、引継ぎも心強いです。そんな訳で、来年の役員さん達も、今年の我々同様に、小学校や地域や中学でも上のお子さんで役員委員を経験してる方ばかりです。心強いけれど、でもやはり、やる人は何回もやって、やらない人は一度もやらないで済んでしまうという不公平感は、残ります。

何はともあれ、午前中は選管委員長も実行委員をつとめる小学校の「家庭教育学級」で、午後がこの会議だという連チャンだったので、わりと時間も長引かずに無事決まってホッとしました。これからは来年度以降に向けて、少し役員委員の定数や仕事の分担を見直し、総会にかけられるよう提案しよう、というのが選管の残された仕事になりそうです。

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2005.01.21

出力低下

話は去年の事になるのですが、このブログもすっかりサボりがちになっていた11月、左下の「こんな本見つけた」でも紹介している「ニート ― フリーターでもなく失業者でもなく ― 」(玄田有史・曲沼美恵 共著 玄冬舎刊)と「就職がこわい 」(香山リカ著 講談社刊)という本を読みました。この2冊は、社会人になる事も、その為に何かを学ぶ事も躊躇する若者たちについて書かれています。息子の進路問題が佳境に入りつつあった時期でもあり、高校の学校説明会でも進路指導の先生に取り上げられてもいたので、親として考えさせられる問題でした。

我が子を見、我が身を振返って、この先大丈夫なのだろうか、と不安にもなりました。息子への接し方にも自信が持てなくなりそうでした。仕事にも行き、PTAや地域活動もそれなりに行事をこなし、息子にも変わらず文句を垂れながら、11月12月と自分自身はとても内向していました。若者問題を取上げた香山リカさんの本を読んだりする一方で、趣味に走った小説など読んで逃避したりして、ここに文章を書く気力が無いというか、自分を出すことから逃げてましたね。ネットに繋ぐ気持ちが遠ざかっていたので、本を読んだりTVを見たりして情報を入力しているだけで、自主的に行動したり言葉にしたりして出力する力が低下していました。これじゃ子ども達と同じだね。

そんな中でも、職場や地域で接する皆さんから少しずつ元気を分けてもらって浮上して来ました。そしてようやっとネットに出てきたら、声をかけて下さる方々がいらっしゃってとっても有難かったです。行動面で出力して行けるパワーは未だ足りませんが、ボチボチやって行きましょう。

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2005.01.20

夜回り先生のTV番組

昨年9月末で高校教師を辞められた水谷修さんの最新刊「夜回り先生の卒業証書」が、年末に発売されました。これまでに出会った子ども達、夜回りという活動の総集編という意味合いと、サブタイトルにも「冬来たりなば春遠からじ」とあるように、子ども達の明日への思いを伝えています。

出版元の日本評論社のサイトに、明日21日夕方6時55分から「完全実録!夜回り先生 若者たちを救い続けた13年の闘い!」という番組がTBS系で放映されるというお知らせがありました。私も先ほど初めて知って、ビデオの録画予約をしましたが、これまでのTV番組等見そびれた方、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

実はこの裏番組になってしまうのですが、7時30分から「NHKの特報首都圏」でブログに関する話題を取り上げるようなので、そちらも気になっているのですが。これは忘れないようにリアルタイムで見ようと思います。

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百世の安堵をはかれ

この17日で、阪神淡路大震災から10年が経ちました。あの朝私は、布団の中でかすかな揺れを感じて一瞬目を覚まし、また眠ってしまいました。我が家の朝は遅いので、7時過ぎに起きて活動開始。TVもラジオもつけず、ダンナを送り出し、家事をすませて、当時幼稚園児だった息子を園まで送り届け、市の公民館へ向かいました。この朝の揺れが関西方面で起きた大地震によるもだったとを、そこで一緒に活動していた仲間から聞かされて、初めて知りました。家に帰ってからTVでその惨状を見るにつけ、どうする事も出来ないもどかしさと、自分の住む地域でこの規模の地震が発生した時の不安でいっぱいになりました。

そして10年が経った訳ですが、我が家や地元の防災意識や備えが十分に整ったとは言い難く、生き残れたとしても、復興の活動をどう行えば良いのか、その気力をしっかり持てるのか、とても自信がありません。新潟やインド洋沿岸の地域の被災状況を見るにつけ、その不安は募ります。

そんな中で、NHK「その時歴史が動いた」で先週放送された「百世の安堵をはかれ」は、ほんの少し勇気を奮い立たせてくれる内容でした。江戸末期の 安政年間(1854~)、日本は三度の巨大地震に見舞われ、大きな被害を受けました。しかし、財政難などのため幕府や諸藩は被災者救済の活動に乗り出しはしませんでした。そこで被災地のひとつであった紀州広村の商人濱口梧陵は、地元の村を復興させるため私財を投げ打って、津波を防ぐための堤防建設を実行しました。自らの手で今後の備えをする事、またその仕事に対し賃金が支払われた事は、村民たちに物心両面の助けとなり、村の復興が成し遂げられた、という内容でした。

今日の深夜、21日(金)(20日深夜) 2:35~NHK総合で再放送があるようです。

この堤防は、その後発生した津波被害を最小限に食止め、今もこの地域の人々に先人の思いを伝える役目をも果たしているようです。我が地元に濱口梧陵のような金持ちで志の高い有力者はおりませんが、災害への不安を抱えるこの御時世に、一筋の光明を見出すようなお話ではありました。

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2005.01.16

床屋デビュー

この冬休み、息子は生まれて初めて床屋へ散髪に行きました。生まれてこの方ずっと、決してセンスも腕も良くない私が彼の髪を切っていたのです。さすがに中学生になったら、自分から「床屋へ行きたい」と言い出すだろうと思っていたのですが、あまり身なりに拘らない我が息子は「家で切ってもらった方が楽だからいいや」という気でいるようでした。しかし、今月は高校受験の面接もあるので、私の方が自分で切る自信がなくて、無理やり床屋に行かせました。やっぱり餅は餅屋ですね、私がただ切った髪じゃ子どもっぽかったのに、すっかり青年らしくなって帰ってきました。ついでに中身ももう少し大人になってくれよ、と願う母でした。

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2005.01.15

受験シーズン突入ですが

大学入試センター試験が2日に渡って行われ、高校入試の出願も迫って来て、いよいよ受験シーズン到来です。高校受験生の息子がいる我が家も他人事ではありません。

志望校は12月の始めに決めました。10月11月には、文化祭の見学や学校説明会があって、彼の成績で受けれられそうな何校かに親子で足を運びました。中学からもそういった学校説明会や見学できる行事の情報は逐次プリントで配られましたし、夏休みくらいから塾やPTAが主催した学校説明会もありました。ご近所の先輩お母さん方からも、子どもと一緒に学校を見てから決めた方がいいよ、とアドバイスもらってましたし、何より我が子には、自分に合う学校を自分が納得して選んで欲しいと思っていたので、それを見届け援助するのが親の勤めだとも思っていました。

しかし、自分の時はどうだったかを思い出したら、志望校選びって随分いい加減なもんでした。あの頃は、都立高校入試には特定の学校を受験できる単独校受験の他に学校群制度というのがありました。2~3校がひとつのグループ(群)になっていて、受験生は特定の学校ではなくその(群)を受験し、合格者は2校なり3校なりに機械的に振り分けられる、というシステムでした。私はその学校群の方を受験したのですが、合格してから振分けられた学校は、試験会場にも当たらず下見もしてない学校でした。入学手続きの時に初めて学校に行った訳ですが、それから3年間、友達にも恵まれ、恩師と言える先生方とも出会いました。

今は、親も中学の先生も、子ども本人が納得し自分たちも安心出来る高校選びを考えていて、それは高校中退者が多くなっている現状を思えば大切な事です。でも、あのいい加減だった自分達の頃と比べると随分過保護のような気もして来ました。よそ様は知りませんが、うちの親は学校見に行ったりはしてないし、私自身も、都立私立とも成績を基準に受験校を決めて、その後試験の下見として行ったのが初めてだった様に記憶しています。小学校や中学校が住んでる場所によって決めたれてる様に、高校も入れると決まった学校に行く、という受身の考え方だったのかもしれません。とりあえず高校に入れば何とかなる、と楽観できてた世の中だったのかもしれません。そして、あの頃の親は子の順応性にあまり不安を感じていなかったのかもしれません。

いい加減だったあの頃と比べたら、自分の目で見て、情報を集めて、親とも相談して高校選びをするのは良い事だと思います。そこまでして決めた学校なら、合格した暁にはしっかり卒業まで頑張って欲しいものだと思います。

この記事は「あ~、精進、精進……」さんのうちにも受験生と「ジャンバラヤ」の中学校にトッラクバックさせていただきます。

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2005.01.14

隠れさだまさし

今頃になって年末の紅白の話なんですが、良かったです、さださんの「遥かなるクリスマス」。思えばインターネットを始めた頃には昔ほど入れ込んでなかったので、ほとんど話題にした事なかったのですが、私実は、さだまさしファンです。数年前まで、会報読みたさにファンクラブにも入っておりました。

紅白では何を歌ってくれるのか、毎回気になるところなのですが、昔のヒット曲だったりすると少々がっかりします。それが去年の暮れは、秋に出たばかりのアルバム「恋文」に入ってる曲で、私にとっても、「風に立つライオン」以来かもしれないくらい、初めて聴いた時に胸に迫るものがある曲だったのとで、とても嬉しかったです。

リアルタイムで「精霊流し」を聴いた時からですので、30年来のファンという事になりますが、アルバムだけは買っても、ここ数年はちょっと惰性で聴いてました。コンサートだって、息子が生まれてからは1回しか行ったこと無いですし。それが久々にドキッとさせられました「遥かなるクリスマス」には。身近なささやかな幸福を享受し守りたいと思う自分と、混迷する世の中の一員でもある自分。その矛盾とか不安とか、このままでいいのかという思いと今の自分達だけの平和に閉じこもっていられたらという卑怯さ。以前から幾度となく繰返し語られてるテーマだけれど、これまで以上に切実に伝わって来るように思いました。

さだまさしは暗いだの何だの言われていた若い頃、高校からのさださんファン仲間と、「普通の人は、さだまさしが好きだとしても世間に対して表明し難いのかなぁ」何ていう話しになった事がありました。本当はファンなのに言い出せない「隠れ切支丹」ならぬ「隠れさだまさし」とか居るに違いない、などと。自分達は逃げも隠れもしないけどねぇ、と笑ってましたが。別に隠してるつもりは無かったけれど、今までさださんを話題にしなかったなぁ、と「隠れさだまさし」の事を思い出してました。

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2005.01.12

平家物語を読もう!

今年の大河は「義経」という事で、源平時代も注目度上昇中でしょうね。実は私、その昔(30年以上も大昔の小6~中1の頃)大河ドラマで吉川英治原作の「新平家物語」を見て、平家物語と義経のファンになりました。その少し前に民放で吉屋信子原作の「女人平家」という時代劇を放送していて、源平時代と主演の吉永小百合さんのファンになっていたので、大河を見てどっぷりハマリました(笑) 義経ファンになったのは、志垣太郎さんが演じた義経が格好良かったからなんですが、原作を読んだらドラマ以上に魅力的な青年に描かれていて、ますます好きになっていました。今思えば、中学生の頃は義経が心の恋人でした。・・・何だか暗い乙女時代のような気も(^^;)

それで、小学生の頃はほとんど本を読まなかった私が、文庫本全16巻の(私が当時読んだのは新書版で12巻になってるものでしたが)吉川英治の原作に挑戦し、楽しみながら読破しました。それから30年、その後これより長い小説は読んで無いと思います。

古典平家の方は、ジュニア版古典全集のような児童書で読んだのが最初でしたが、古典原文も角川文庫版を、同じく角川文庫にあった全訳本を片手に読みました。古典を読む知識なんて皆無だったのに、何故読んでみようと思ったのかと言うと、物語の内容に興味があったのは勿論なんですが、何より耳で聴いて美しい文章だったからなんです。大河「新平家物語」に対応してか、教育TVの市民大学講座という番組でも古典「平家物語」を扱っていたのですが、こちらは大学の先生の解説が多少難しいものの、本文は女優さんが朗読してくれるので、自分で字面を追うより楽でした。しかもプロの朗読は、文章のリズムや美しさを直接伝えてくれます。もともと琵琶を奏でながら語った物語の文章の美しい流れを、聞くのではなく、聴かせてもらったという感じでした。

歴史としての平家の物語には心惹かれても、古文なんて全く興味が無かった私に、古典「平家物語」を読んでみたいと思わせてくれたのは、耳から入って来た文章の美しさでした。文法も古語の意味もよくわからなくても、とにかく読んで(聴いて)心地よい響きがあって、自分も声に出して読んでみたくなったのが、古典「平家物語」を手にした理由でした。全文通しては1度しか読んでませんが、お気に入りの場面は何度も独りでこっそり音読してます。冒頭の「祇園精舎の事」とか「敦盛最後の事」などの有名場面や、頼朝の勘気を受けた義経が大江広元に宛て書状を送る「腰越の事」なども読み応えあります。未だに意味のわからない所や、ちゃんと読めない所もありますが、試験がある訳でもないので、闇雲に読んで楽しんでいます。

TVで平曲も聴いたたことがありますが、あれはちょっと物語を聞き取るには難しかったです。古典「平家物語」、どなたかが朗読してるCDがあったら久しぶりにじっくり聴いてみたいなぁ、と思います。

この記事は「わちさんのココログ」の古典の世界へにトッラクバックさせていただきました。

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2005.01.11

加藤正夫さん逝去

息子が定期購読している「週刊碁」の最新号が届きました。一面のトップはもちろん、去る12月30日に他界された加藤正夫九段を偲ぶ記事です。現役トップ棋士として史上最年長で本因坊位を勝取った平成14年、副理事に就任し日本棋院の改革に着手。そして昨年6月からは、急逝した利光理事長の後を受継いで理事長職に就いておられました。副理事長をお受けになった事を新聞で読んだ時、現役のタイトルホルダーが! と驚いたし、オーバーワークなのでは? と心配にもなりましたが、棋士自らが活動拠点の運営に携わり改革して行こうとする姿勢に、胸の熱くなるような思いもいたしました。

コミ6目半への移行、大手合廃止、予選制度の改革など、ここ数年で行われて来た事は、加藤理事長の尽力の賜物だったのですね。子どもへの囲碁普及のために小・中団体戦実施したのも加藤理事長の発案だったそうですが、「ジュニア囲碁教室」がクラス編成などを改めて「ジュニア囲碁スクール」になり、さらに平日の夕方にも研修を行うようになったのも、そうした子どもへの囲碁普及の一環だったのでしょう。

でもやはり、棋士としての活動と棋院の経営の両立はお忙し過ぎたでしょうし、理事長職というのは気の休まる暇もなかったのでしょう。「加藤正夫は殉職と思います」、「もう少し加藤さんの重荷を手助けできなかったかと、悔やんでも悔やみきれません」と、工藤理事長代行はおっしゃっていましたが、本当にそうだと思います。あらためて、ご冥福をお祈りします。

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2005.01.09

七草も過ぎて

謹賀新年。と申し上げるのも遅すぎる頃となってしまいましたが、本年もよろしくお願いいたします。

元旦にせっせと年賀状書きをしていたので、宛先住所を間違えたハガキが今頃戻って参りました。今更年賀状の再投函は出来ないので、寒中見舞いでご挨拶するしかありません。学生時代にお世話になった先輩宛てだったのに。新年早々先が思いやられます・・・。

大晦日の積雪で日延べになったダンナの実家行きは3日に日帰りでいう事にしてもらい、2日は午後から私の実家で過ごしました。そんな訳で、今年も真っ当なおせち料理は作らず、元旦の雑煮だけが自分で作った正月らしい料理でした。我家の雑煮は、ダンナの両親が山形出身なので山形風です。鶏肉入りのすまし醤油仕立ての出汁で、人参・大根・ゴボウのささがき・油揚げ・なめこ・ナルト・三つ葉などを入れる具沢山の雑煮ですが、義母が作ってくれたのを真似てるだけなので、オリジナル山形雑煮とはちょっと違うかもしれません。で今年は手抜きで袋入りの「ささがき」済みゴボウを使ってみたのですが、3日に義母が用意してくれた雑煮をいただいたら段違いに美味しくて、この雑煮の味わいは、ゴボウの香りが決め手なんだと、あらためて実感しました。その他出汁の取り方とか色々あるでしょうが、せめて今後は手抜きせず、ゴボウは自分で「ささがき」にしようと思いました。

そして正月休み最終日の4日は、親子3人で初詣。今年は受験生がいるので、地元南多摩地区では有名な国立市の谷保天神に参拝しました。東京では湯島の天神様が有名で、自分が学生の頃はそちらにお参りしましたが、この奥地から湯島まで行くのは大変なのと、南多摩地区では名所のひとつなのに未だ参った事がないので、谷保の方に行ってみました。その他こちらでは、府中の大国魂神社や日野の高幡不動なども有名で、折々にお参りした事があります。あとは、高尾山にある薬王院まで行かれる方もありますが、冬場に山登りする元気は私にはありません(^^;)

ところで、受験生のはずの息子は、冬休みに入ってから勉強してる時間より本読んでる時間の方が長いです。それもゲームや漫画のノベライズとかが中心で、文章としてはイマイチ。読んでた中で小説と言えるのは「魔法使いハウルと火の悪魔」くらい・・・。というか、「そんな場合じゃないでしょ!」と言いつつも、ダメ母の影響で息子まで読書に逃避してるのかもしれない、と思うと何だか後ろめたい今日この頃です。

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