2006.07.05

NHK「歴史が動いた」は秀策です!

今日5日(水)夜10時からの「その時歴史が動いた」は「勝負師は志高く~碁聖・本因坊秀策の無敗伝説」だそうです。

ヒカルの碁では、佐為さんが150年前にとりついていた事になっているのが本因坊秀策です。佐為のエピソード自体はフィクションでも、実在の秀策の無敗の強さとその知名度があったからこそ、ヒカル以外の登場人物には見えない幽霊の佐為が、物語の中で大きな存在感を持つことが出来たんですね。

ヒカルの碁での歴史の勉強の場面からもわかる様に、秀策(佐為)は黒船やペリーを知っている幕末の人です。1829年広島県因島の生まれで幼名を桑原虎次郎といい、母から囲碁の手ほどきを受けました。三原城主浅野忠敬に碁の才を認められ、父の実家の安田姓を名乗り仕えるようになります。その後囲碁修行のため江戸に出て、本因坊丈和に弟子入りしました。20歳で十四世本因坊秀和の跡目となりますが、十五世を継ぐ事なく、34歳の若さで亡くなっています。

番組では、人格的にも実力的にも最高の棋士とされる秀策の戦いを描きながら、秀策を大記録へと導いた修業とはどのようなものだったかを読み解いていく。

のだそうです。 歴史番組好きなのでほぼ毎回見てるんですが、久々にとっても楽しみな題材です。

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2006.01.14

スパム書込みと更新

幸いにもブログのコメントやTBでのスパムは今のところ殆どないのですが、母屋のサイトに置いてる掲示板には、去年の秋頃から3日にあげずアダルト系サイトなどの宣伝書込みがされています。地道にチェックして削除していたんですが、近頃全くサイトの更新もしておらず利用者もあまり居ない掲示板なので、12月に入ったくらいからリンクを外してLOGだけ載せています。

どうしたものかと思っていたら、ヒカルの碁サイトの素材をいただいている「囲碁サーチさんのブログ」に、cgiのファイル名を変えたら迷惑書込みがなくなった、という事が紹介されたていましたので、私もやってみる事にしました。うちの掲示板は、フリーのcgiをDLして使っているんですが、実は私cgiの事はさっぱり解りません。ファイル名を変えたらちゃんと動作しなくなるんじゃないかと思い、今まで全てデフォルトのまま使っていたんです。でも、変えてもちゃんと動作する事が解りました。しばらくは新旧比べて見て、新しい方に迷惑カキコが来ない様なら掲示板再開しようと思っている所です。囲碁サーチさん、ありがとうございました。

ところで、ヒカルの碁サイトの感想も久々に更新したんですが、時間があったら越智君や社君の事も書きたい、などと思ってしまいました。やっぱり良いですねヒカ碁。脇役の皆さんも魅力的です。そんなヒカ碁を見て囲碁を始めた我が息子、2学期から高校の囲碁部にも入れてもらったんですが、1年生は他にいないらしいんです。このまま行くと来年の今頃は小池君状態になる事必至です。そういえば最近は地元児童館でも囲碁人口がめっき減ってる様なので、夕方にでもアニメの再放送してくれないかしら、と密かに願っております。

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2005.01.31

加藤正夫名誉王座の棋歴

NHK教育TVで毎週日曜、正午の囲碁講座に引続きNHK杯をやる時間に、昨日は去る12月30日に亡くなられた加藤正夫さんの追悼番組「攻めの加藤・ヨセの加藤」を放送していました。「加藤正夫名誉王座の棋歴」はそのサブタイトルでした。この日放送予定のNHK杯3回戦第8局 張栩 名人・本因坊 VS 加藤正夫 九段 は、張栩 名人・本因坊の不戦勝という事になりました。加藤さん最後の対局は、昨年12月2日の第31期天元戦本線だったそうです。

出演されていたのは、加藤さんと同じ木谷実門下の、大竹英雄、石田芳夫、趙治勲、小林光一、武宮正樹の各氏。それぞれに木谷道場時代の思い出や、棋士加藤正夫の人となりなどを話されるとともに、タイトル戦での思い出の一局をご自分で解説して下さいました。

昭和51年第1期碁聖戦、大竹英雄に3-2で勝ち初タイトルを手にした時の第5局。
52年第32期本因坊戦、武宮本因坊を4-1で降し本因坊剣正となった時の第1局。
53年第33期本因坊戦、4-3で挑戦者石田芳夫を退けタイトル防衛の第7局。
58年第21期十段戦、3-2で趙治勲よりタイトル奪取の第5局。
61年第11期名人戦、4-0で小林光一名人よりタイトル奪取の第4局。

皆さん、ご自分が加藤さんに負けてタイトルを持って行かれた時の一局でしたので、今更ながらに「この一手が負着だった」などと悔しそうにしたり、「加藤さんのこの一手にやられた」みたいな話をされていて、解説の内容はさっぱり解らない私にも、その時の攻防への思いが伝わって来るようでした。

なかでも、席に座っていた時はあまりお話されなかった趙治勲さん、対局の解説になったらいつもの調子で面白かったです。石田芳夫さんの解説の時は聞き手で、「ここが失着でしたよね」と散々突っ込んでいたら、自分の解説の時は小林光一さんに突っ込まれて「他人の失敗はすぐ解るんですけど、自分の時は気づかないでやってるもんですね」と笑っておられました。その上、加藤さんとゴルフをした話にまで発展し、対局の解説中なのにスイングの真似までされてたのが可笑しかったです。

加藤さんは、これらのタイトル以外にも、昭和54年は本因坊、十段、天元、王座、鶴聖の五冠王、62年は十段、碁聖のタイトルを奪取、名人と王座を防衛し四冠王、そして平成14年第57期本因坊戦では、史上最年長55歳で本因坊位に返咲くなど、獲得したタイトルは47。タイトル連続保持記録14年6ヶ月で、史上最長だったそうです。

平成14年の本因坊就任式の挨拶も放送されましたが、「50代になって体力に自信が出てきた」というお話をされていてのを、複雑な思いで聞きました。兄弟子である大竹英雄さんも、「そうは言っていたとしても周りでもっと気をつけてあげれば良かった」と残念そうに話されていました。皆さんのお話を伺って、本当に、先輩にも後輩にも慕われ頼りにされていた方だったのだなぁ、と思いましたし、惜しい方を失ったなぁ、という思いを新たにしました。

加藤正夫名誉王座のもう少し詳しい棋歴は日本棋院HPの「棋戦・棋士」の棋士のプロフィールで紹介されています。

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2005.01.11

加藤正夫さん逝去

息子が定期購読している「週刊碁」の最新号が届きました。一面のトップはもちろん、去る12月30日に他界された加藤正夫九段を偲ぶ記事です。現役トップ棋士として史上最年長で本因坊位を勝取った平成14年、副理事に就任し日本棋院の改革に着手。そして昨年6月からは、急逝した利光理事長の後を受継いで理事長職に就いておられました。副理事長をお受けになった事を新聞で読んだ時、現役のタイトルホルダーが! と驚いたし、オーバーワークなのでは? と心配にもなりましたが、棋士自らが活動拠点の運営に携わり改革して行こうとする姿勢に、胸の熱くなるような思いもいたしました。

コミ6目半への移行、大手合廃止、予選制度の改革など、ここ数年で行われて来た事は、加藤理事長の尽力の賜物だったのですね。子どもへの囲碁普及のために小・中団体戦実施したのも加藤理事長の発案だったそうですが、「ジュニア囲碁教室」がクラス編成などを改めて「ジュニア囲碁スクール」になり、さらに平日の夕方にも研修を行うようになったのも、そうした子どもへの囲碁普及の一環だったのでしょう。

でもやはり、棋士としての活動と棋院の経営の両立はお忙し過ぎたでしょうし、理事長職というのは気の休まる暇もなかったのでしょう。「加藤正夫は殉職と思います」、「もう少し加藤さんの重荷を手助けできなかったかと、悔やんでも悔やみきれません」と、工藤理事長代行はおっしゃっていましたが、本当にそうだと思います。あらためて、ご冥福をお祈りします。

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2004.10.25

深夜の囲碁講座

息子が見ているNHK教育TVの囲碁講座、日曜正午の放送なのですが、昨日は、新潟中越地震の安否情報放送のためにお休みでした。と思ったら、昨日の(というか今日ですが)深夜3時頃に放送しておりました。そんなぁ~NHKさま。

近頃すっかり夜寝るのが遅くなった息子、昨晩は深夜0時過ぎに風呂に入っておりまして、その後入ろうと思っていた私は、うっかり居眠りを始めて、気がついたら2時近く・・・。それから風呂に入って、髪洗って乾かしてたらそんな時間に(汗) ダンナも起きていて、ずっとTVをつけていたんですが、何気なくチャンネル回してたら、囲碁講座をやってるじゃありませんか! ビックリして、あわてて録画しましたが、最初の方は切れてます・・・。

正午に見たとき、安否情報やってると思ってすぐに総合TVに切り替えてしまったので、放送時間の変更まで確認しなかったんですよね。良く見てたらアナウンスあったのかもしれませんが。でもこんな時間にやらんでも・・・。その後続けてNHK杯も放送していましたね。見逃した囲碁ファンの方沢山いると思いますよ・・・。

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2004.10.15

ヒカ碁カレンダーとスリッパの話

9月11日に2005年版ヒカルの碁カレンダーについて書きましたが、今年も職場で回覧されるカレンダー販売で購入申し込みしちゃいました。でもこれ、一覧表になった申込書付きで回覧されるので、誰が何を買ったのか部内に知れ渡ってしまうんです。去年も「ヒカルの碁」、その前年は「犬夜叉」と「トトロ」、さらに前は「ドラゴンボール」と、毎年アニメ物を買っているので、職場に我家の趣味がバレバレ(^^;) 他の方もお子さんの趣味でアニメ物買ってるので、私も一応息子の部屋に貼るとは言ってますが(いや本当に貼っているんですが)、開き直って最初から「私も好きなんです」と公言しています。

という訳で、職場ではアニメ好きなオバサンとして認知されております。TVの犬夜叉が最終回を迎えた後も職場で、「原作の連載も終わっちゃってるの? ヒトコさんなら知ってると思って」と聞かれました。「イノセンス」が上映されてる時には、「面白そうなんだけど、どんなお話し? ヒトコさんなら観たかと思って」と質問されました。「イノセンス」は観てなかったので(未だに観てませんが)「甲殻機動隊」のお話をして、この話の続きだと思うよ、と答えておきましたが。

そんなアニメ好きな私ですが、息子とアニメを見ていても、時々感想や突っ込みの視点がどうしてもオバサンになります。「ヒカルの碁」で何度か気になったのは、スリッパの並べ方。プロ試験の会場であった囲碁研修センターの和室の外、受験者が脱いだスリッパがいつもバラバラで、綺麗に並んでいた事がないんです。原作でもアニメでも、バラバラでした。何故? 作者の方が取材に行かれて、現状をそのまま描いただけなんでしょうか?

仮にも日本の伝統ある技芸である囲碁のプロを目指そうという若者が、自分の脱いだ履物をバラバラにしたままで良いのでしょうか。立会いにみえたプロの先生方は、これ気にならないんでしょうか。平安時代の宮廷で生活し、江戸の武家社会も知ってる佐為さんも、ヒカルに注意しないんでしょうか。と、几帳面でもなく自分の家はとっ散らかってるくせに、妙にヒカ碁のスリッパが気になる私。「お母さんだったら、あそこに行って綺麗に並べたい!」と息子に訴えて呆れられています。

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2004.10.11

進藤美津子さん(ヒカル母)の心配事

先日久々に息子と『ヒカルの碁』のビデオを観ました。輝く指先の「感想」にも書いている、アニメ第46局「プロ試験最終日」です。主人公進藤ヒカルが、既にトップ合格を決めている越智君に接戦の末勝利し、無事プロ試験に合格するお話しなのですが、その後に登場するヒカルのお母さんの姿には、色々考えさせられるものがあります。

ヒカルの家庭は、サラリーマンと思われる父の正夫さんと、専業主婦と思われる母の美津子さん、そして一人っ子のヒカルの3人家族。徒歩圏内に父の実家があって、祖父母は健在です。お祖父ちゃんの平八さんは結構重要な役どころで何度も登場していますが、父親の正夫さんは、時折声だけの登場があったものの終にその姿が描かれる事はありませんでした。

さて、母の美津子さんですが、まだ中学2年生の息子が囲碁のプロ棋士になると決まった後、喜びよりも今後の事が不安で、息子には内緒で担任の先生に会いに行きます。息子に知られたら「余計な事するな」と怒るのがオチです。この気持ちはよくわかります。私も息子には内緒で、部活の顧問に相談する、教頭先生にお願い事をする、お世話になってるコーチと話をする、など色々やりましたから(^^;) 美津子さんは具体的に、今後プロ棋士と中学生という2足の草鞋を履くことになる息子が、友達関係などを含め学校生活を上手くやっていけるのか、高校進学をどうしたらいいのか、という心配を話していました。結局担任から明確なアドバイスを得ることもなく、不安のまま学校を後にします。

そもそもヒカルがプロ試験を受けると知った時も、碁に夢中なのは良いけど、先ずは学校の勉強をもっと頑張ってからにしなさい、と言った美津子さん。プロを目指すヒカルとは比べものになりませんが、私も息子が週5回も卓球の練習に行き始めた時、全く同じ事を言っていました。息子が中学校生活を無事に送って、勉強もそこそこ出来るれば、親としてひとまず安心が得られる、と思っている様子の美津子さんは、まるで自分を見ている様だと思いました。

ヒカルは既に、社会に出て何をするのか、という学生の最終目的をハッキリと見定めています。中学2年にしてそれを達成しているって、立派ですよね。漫画の中の架空の人物ではありますが、同じ親として、美津子さんや正夫さんがとても羨ましい、と思います。なのに、何故まだ美津子さんは、学校生活への適応や目前の学力といった、私と同じ様な心配をしているのでしょうか。そしてまた、「どんな世界でもプロになるなんて並大抵じゃない、どうせ試験なんて落ちるさ」「とりあえず好きにさせとけばいい」と妻に語った父正夫さんの事はここにも書きましたが、息子のプロ試験合格をどう受け止めたのでしょうか。

私自身がそうなので、ヒカルの両親を批判する資格もないのですが、子どもが何の為に今学校へ行き、何の為に勉強しているのか、目前の試験や進学問題に囚われ過ぎて本来の目的を見失っている時があります。あまりにも勉強が出来ない息子が心配で、中3になって無理やり塾の見学に行かせ、商売上手な責任者の手を借りて、塾に通わせる事に成功しました。とりあえず、何とか普通科の高校へ進学して欲しい、と願う親心からそうした訳ですが、安くは無い塾の費用は、私の安心料に過ぎない様な気もします。息子がどうやって学生としての最終目標を見つけられるのか、それは目前の高校受験より、難しい問題です。

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2004.09.11

2005年版 ヒカルの碁カレンダー

何だか、もうそんな季節なのねぇ、と忙しなくなってしまいますが、来年のカレンダーが色々と発売になっています。そして、そして、原作もTVアニメの本放送も終わったというのに、ヒカルの碁 2005年カレンダーも出るそうです! 

ヒカ碁カレンダー、今年のアニメ版は息子が部屋に貼ってますが、パソコン部屋に貼ろうと思っていた小畑健版は、貼るのが恥ずかしくて、大切に仕舞ってあります。そのかわり、パソの壁紙にしたりしてますが(^^;) 来年はアニメ版だけかもしれませんが、やっぱり買おうかな。

9/12追記
その他のカレンダーはFIRST CONTACT カレンダー館TOPからやdiss shop Hakuchoなどで探してみて下さいね。DRAGON BALL は無いみたい・・・。

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2004.08.08

川端康成「深奥幽玄」

市ヶ谷の日本棋院を見学して来ました。以前息子の囲碁大会などで何度か行って、親子で幽玄の間も見学させていただいた事もあるんですが、もう一度「深奥幽玄」を見たいと思っていたので、今日はひとりで見て来ました。川端康成の逆さ落款も確認。今回はデジカメで写真も撮って来ました。

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2004.08.06

原爆下の本因坊戦

昭和20年8月6日午前8時、第三期本因坊戦、第二局3日目の対局が再開した。対局者は橋本昭宇本因坊と挑戦者岩本薫七段。碁の局面はすでに大ヨセに入ろうとしている時だったという。対局場所は、広島市街より10キロほどの所にある五日市の吉見園という中国石炭の寮だった。

岩本薫さんの回想録によると、「2日目までの手順を並べ終わり盤に向かっているときに、いきなりピカッと光った。それから間もなくドカンと地を震わすような音がした。聞いたこともない凄みのある音だった。同時に爆風が来て、窓ガラスが粉々になった。障子とか襖は倒れ、固いドアがねじ切れた。」(中山典之著「昭和囲碁風雲録」より)という事態が起こった。広島市に原爆が投下されたのだった。

「ピカッと来てからドカンまで、実際には30秒足らずのはずだが、5、6分ぐらいに長く思えた」そうで、ひどい爆風で、岩本さんは碁盤の上にうつぶしてしまったという。10キロ離れた場所でもこんな状況だったというのだから、原爆の怖ろしさがわかる。

それでも、原子爆弾などとは知らない当事者たちは、部屋を掃除して対局を続け、結果は本因坊の中押し勝ちだった。しかし、この後無期延期状態となった本因坊戦第三局が打たれたのは、終戦後の昭和20年11月10になってからだったそうだ。

この第三期本因坊戦は、空襲により当時赤坂溜池にあった日本棋院が全焼したため、食料事情も悪い中、対局場所を探すにも苦労していた。結局、立会い人だった瀬越憲作八段が五日市に疎開していた事も有り、日本棋院広島支部の協力を得て、第一局は7月23日から広島支部長宅で打たれる事となった。しかし、市内は空襲などの危険があるため、第二局は瀬越さんが疎開していた五日市で、という事になったそうだ。もしそのまま広島市内で打たれていたら大変な事になっていただろう。現に、広島支部では支部長以下関係者全員が亡くなったそうだ。

当時のプロ棋士の中にも、空襲で亡くなった方、戦死された方など何人もおられたそうだ。今現在、日本国内に空襲はないが、イラクはまだまだ戦争状態だし、世界中には他にも内戦やら何やらで生命の危険に晒されている人はたくさんいる。8月6日、9日、15日。日本にとっても過去の不幸を振り返るだけの日ではないだろう。


8/7追記

原爆関連のHPも紹介されている「すきま」さん
囲碁に関する話題もたくせん読める「ももぞうの烏鷺ウロ話」さんから
トラックバックいただきました。

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